母校の挑戦
2003年10月28日わたしの母校、立命館宇治高校が、11月1日滋賀県、皇子山球場にて奈良県代表の片桐高校と対戦する。わたしたちも当時、京都の第1位校として、近畿大会に出場、対戦相手は、滋賀県瀬田工業高校、元日ハム・西武の西崎選手の母校。当時にエースが西崎投手。対策を練っていざ大会へ。
今はなくなった日生球場。ブルペンで快調に投球練習をする西崎投手。
スターティングラインナップが発表。
「あれっ」
投手は、西崎ではなく、当時左打者の多かった我が校対策として、左の軟投派、渡辺投手。のらりくらりと人を食ったようにゆるく、しかし、コントロールされたカーブがコーナーに決まる。
「打てるはず」
「打って当たり前」
こんな気持ちが、焦りを生み出す。
「回がない、1本出れば」
負けるときの典型のような戦いとなった。自慢の足もランナーが出なければつかえない。
「ゲームセット」
わたしたちの春の夢が費えた。あれから22年。母校が再び後一歩のところまで迫っている。できれば、願いをかなえて欲しい。
今はなくなった日生球場。ブルペンで快調に投球練習をする西崎投手。
スターティングラインナップが発表。
「あれっ」
投手は、西崎ではなく、当時左打者の多かった我が校対策として、左の軟投派、渡辺投手。のらりくらりと人を食ったようにゆるく、しかし、コントロールされたカーブがコーナーに決まる。
「打てるはず」
「打って当たり前」
こんな気持ちが、焦りを生み出す。
「回がない、1本出れば」
負けるときの典型のような戦いとなった。自慢の足もランナーが出なければつかえない。
「ゲームセット」
わたしたちの春の夢が費えた。あれから22年。母校が再び後一歩のところまで迫っている。できれば、願いをかなえて欲しい。
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