メールを開くと

2004年1月5日
4日の朝メールを開くと、以前フルカウンツのメンバーで2年間特別留学生としてカナダ・ブリティッシュコロンビア大学に入っていた選手からメールが届いていた。2年目は選抜に残ってがんばっていた彼から。4年生でもあり、帰ってくると就職活動がまっている。うれしいことに時間の許す限り、フルカウンツで野球をし、社会貢献をしたいというメッセージ。彼は、セカンドを守り守備は一品。彼のようなモチベーションの高い、野球だけでなく多彩な才能をもつ選手がフルカウンツには多い。他のチームとは違うところだろう。野球がなくなると人生が無くなる、不安になるような選手は作るつもりは無い。私自身そんな選手ではなかったから。高校で野球においていい成績を残したが、推薦でなく、受験という厳しいハードルの中で身を置き実力で進学する道を選んだ。この選択を笑う友もいた。しかし今この選択は正しかったと思っている。この気概が自分を育て、今、次世代に伝えたいと思う最も大切なこと。「楽して得た栄光は,消える時は瞬時」だと思う。バブルの栄華もそうだろう。決して踊るるなかれ。私の家で冬期学習会に参加した中学生にいつも言っていること。学習量も半端でない。それを何とかやってきてくれている。頼もしい限りだ。3月に答えが出る。

今年は、野球でも成果を、そして人材育成としても結果を今以上に出したいと思っている。21世紀型クラブチームの創生期と位置づけている。スポーツとボランティアの今までに無い融合の形を作り上げていく第一歩。選手からもボランティアに対する形が見えにくいと批評されているのが現状。今が一番苦しい時、そう産みの苦しみ。なぜなら前例が無いから私も説明の使用がないこともある。私が考える選手のボランティア活動は、次の世代の青少年のそばにいてあげる。一緒にプレーし、一緒に成長する。これが、人を創るボランティア活動だと思っている。年齢差に上下があったとしても、こころの面で節度ある横並びの関係、ここがポイント。これ以上は公には考えを書きたくないのでこのあたりにとどめておく。

父であり兄である彼らが新しい選手を作り上げる。野球は、えらいコーチや監督が彼らを育てることなどほんの少し。社会では、名監督とかなんとか話題づくりで取り上げられるが、本当に彼らを育てているのは、そばにいる兄貴やお姉さんだと思う。また21世紀のこどもたちには、アドバイザーやカウンセラーのような身近にいつも存在感のあるコーチやチューターが欠かせないと考えている。私たち年寄りは、その橋渡しのために動き、よりスムーズに彼らのニーズを達成してあげることに徹するべきだ。

 チームを訪れる子は、なにかしらの障害にぶつかった子供たち。野球界で言えば底辺からのドロップアウト。その多くは、よりハイレベルな野球を目指すあまり、いろんな矛盾に気がついた子供たち。京都フルカウンツは、野球界のフリースクール。ゆっくり自分を見つめ次の進路を考える。またハイレベルなところでの競争に戻るも良し、ひとづくりのためにチームで青少年育成に励むも良し、自分のやりたい野球を精一杯やり続けるも良しなのだ。

「引退は、自分で決めるもの」クラブチームであれば出来る。やると決め、登録すれば、携わることができる。携われば、いろんな課題が見つかり、それをチームで解決する。すると今まで得られなかった快感とまたやるぞという意欲が沸いてくる。

硬式野球を生涯スポーツとして位置づけ、ふるさとのようなチームとして京都フルカウンツを作り上げたいと思っている。これがいま大きく湧き上がる年頭の思いだ。

監督

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